もう一度、つながろう日本。
あの日から一年…。
東北を中心に甚大な被害を出した「東日本大震災」から今日で1年となりました。
3月8日現在、警察庁の調べでは死者15,854人、行方不明者3,203人と発表しています。
犠牲になられた方々に改めてご冥福をお祈りいたします。
また、今も避難生活を余儀なくされている被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。
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今回は、友人の稲川の爆音卵さんが昨年12月に石巻市を訪れた際の写真をいくつか掲載しようと思います。
被災された方には少しつらい内容となってしまうことをあらかじめご承知置き下さい。
※心的なストレスを引き起こす可能性も考えられますので、十分注意してご覧下さい。
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太平洋に面し旧北上川河口付近に位置する南浜町にあった「石巻市立病院」。
市立病院などの鉄筋の建物を残し、周辺にあったはずの住宅街はすべて流されたとのこと。
病院自体も津波で浸水し、けが人の受け入れなどがまったくできない状態となりました。
患者さんを他の病院にヘリコプターで移送する大規模な救助活動はメディアでも取り上げられました。
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前述の南浜町のすぐ北に位置する門脇町にあった「石巻市立門脇小学校」。
周囲にあったがれきは撤去され、今は黒く焼け焦げた校舎だけが残ります。
この学校のある門脇町周辺では大規模な火災が発生しました。
津波で流れ着いた多数の車が校舎にぶつかり発火。それが瞬く間に延焼したそうです。
幸いにも、生徒や教員は裏手の日和(ひより)山に避難したことで難を逃れました。
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南浜町と旧北上川を挟んだ対岸の魚町に「木の屋石巻水産」という水産加工会社があります。
そちらの看板商品「鯨大和煮」を模した巨大な魚油保存の貯蔵タンクも津波の被害を受けました。
震災前はちょっとした観光名所として市内外から見物客が訪れていたそうです。
元々は社屋の前にありましたが、500mも離れた場所まで流されあちこちが凹んでしまいました。
工場も全壊する被害を受けましたが、流出した缶詰の回収作業など再建に向けて歩みだしています。
◆木の屋石巻水産
http://kinoya.co.jp/eccube/
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あの日の教訓を忘れない。
もう「想定外」という出来事はあってはならない。
もうあの時のような悲しみを生み出さないために…。
政府や各自治体には、早期に防災対策を確立してもらえるよう願うばかりです。
もちろん、私たち自身も日頃から防災意識を持つことが大事です!
非常用物資の確保、避難場所・避難経路の確認などできることからはじめましょう。
しかし…、震災直後あれだけ叫ばれた【絆】は一体どこへ行ってしまったのか…?
がれき処理の受け入れを巡って、自治体同士が対立しあうという悲しい現実…。
あの日あの時、それぞれが抱いた気持ちをもう一度思い起こしてほしいですね。